小渋温泉は大鹿村の集落から歩くと遠い場所だが、もう一つの嵯峨塩温泉よりは、
蝶屋としては魅力がある場所だが、そこを舞台の、エッセイもどきを書き続ける。
「絵麻が、めずらしく来てるよ、そうだ一緒にイタリアンへ。」
まだ雪が残る大鹿村、この小渋も積雪60cm以上で、普通の機動力では。
「あれっ、それReoneじゃない、」
香乃は茶のメタリックの4駆のマシンと若い長身のバランスに、雪掻きの手を止めて、やや古いが、新型の国産を。
「乗って見まんか、そうか、食事一緒に。」
170度サイレントシャフト付きのラウンドは、構造とは異なって、甲高いエンジンサウンドを、タイヤは扁平度が高い。当然、センターデフはない。とことなく、カウンタックのLp500に見える、資本を買い戻した、メーカーの初の高級スポーッツ。
食事後、嵯峨塩温泉の方へ、絵麻はずっとそちらだったらしい。距離もあって、先にクワトロで、独のレオンは、先にwhiteのクワトロで出た。カメラのセットのためだが、1時間は。香乃と山本は国産に軽く疾風にも聞こえる4気筒のサウンドは、国道へ、加速はメカニックサウンド、すぐにクワトロに追いついた。レーシングスーツ風のキルティングの白はメーカーのロゴだけで、途中で雪になった。ワイパーが忙しく、さすがにAUDIは滑りまくっていた。
「great pilote ,you could reach the machine what word is get that, so skill all mission was gone by.」
伝説のムーアの再来は、顔の特徴に、目の美くしさがあった。独語も当然で、まだ27だが、唯一のmillanoのモデルだった。Collectionへの参加は以前からだったが、無名から2年前、突然現れた。トヨタのCMでnew Cericaのドライブは、社の秘書室の紅一点で、白羽の矢が。「和装の今井」で、知り合いになったのは例の作家の紹介だった。
嵯峨塩は小渋より開けていて、ホテル数も多い。エレベータ式で、屋内の駐車へ。入る前に雪を払っていると、女将が。グレーのタートル姿で、結局、彼女がガレージへ2台。
「雪がこれからで、よかったですね。」
山本に紹介されて、の挨拶だが、絵麻は緊張を解いていた。東急ホテルの女将は、暫く、沖縄石垣の同ホテルからの引き抜きで、外語大の猛者だもあった。絵麻はここで、別の事、レオンは知っていたらしい。
東急ホテルの屋内テニスのインストラクターで、待機中で、系統は「警視庁」だった。国内でのラリーのフォトはトヨタnew86でのものだった。
しばらく、このホテルに居てもいいとは、先のトヨタからで、女将も山本たちの事は知っていたらしい。3名のことについては、絵麻から聞く範囲に居て、300人が泊まれる大きいもので、近代的な作りだった。小渋川は小渋湖に、川沿いに荒川岳へのルートは夏場でも難しい、2月の下旬の積雪は冬の時期と同じで、気温はそれでも5℃が日中の気温で、春の遠い自然を見る目は東の北岳、さらに鳳凰三山の向こうでも冷気団の続く雪模様が国道の様子はNHKの朝のニュースの雪雲に覆われていた。中部電力の配給は三峰川の記憶にあるものを思うが、ここはそこ以上の山中で、隠れた発電機は3時間が限度で、但し最近の営業でまだ三年の金のかかったものだが、東急ホテルの経営のもので、絵麻は準営業になってここで中居の一人でいたが、山本の収入とは別で、持ってきた4WDは彼女のものではなく、ここを周年開けるには必要なものだった。日は午後の山稜に隠れて気温は再びマイナスに、大鹿村の入り口である人造湖は一本のみの入路だ越えてすぐに村の中枢ともいわれない五十戸の集落で、有名だった大鹿の産業は逆に、湯治場にも見えるがここでの冬はそういうことを意味していた。一人、白魔に覆われていたことは、気づくべきだった。EOSのメモリーには、まだ、1カットの画像も入っていなかった。面識のない香乃はその中居姿の良さに嫉妬もあればいいが、京都の店の経営に、利く耳はなくて、166cmの長身は紺の生地が汚れなく映っていた。悪魔が天空の果てで接近する理由はなく、政府が気づいてもう8年が経っていた。冷気の女性の意味は、言うこともなく、何時しか身についた癖について、冗談は言うがアスリートの言う意味は、もう、山本には心はなく見える僅かな余命にでさえ、この「死の作戦」の加担者には容赦は。隠された笑顔の行く方は。
「ここへ、来れた皆さんにはここの接待について、ただ、お高いですよ。」
入り口で、「ITの持ち込み、利用は禁じる。」と書いたのは、彼女ではないが、香乃の金策は断たれたことに。翌日の領収書には、その件が、醜いことは、おびえることのみになることは、分かっていた。美貌だが、ファニーなのは香乃の方だった。誰かがやったことは、正しいのかは、誰でもないだけだった。数字は嫌われ確率も意味なく、春の訪れは恐らく誰にも。
3月に入り、雪がその厚みを徐々に減らしていった。絵麻はここへの永住を決めかねていたが、特殊な旅館の経営にその職歴は隠していたが、香乃はこの1っか月で、事実上、京都の店を忘れざる負えなかった。ザルト、塩泉は珍しく、そういった客も多く、50名収容のこのやや山奥の旅館は、ほぼ満員が続き予約を取る方法が。まっとうな食事のことは非常に苦労していたが、オーナーの石原は著名な作家で、香乃も面識となっていた。レオンと山本は小渋へ戻ったが、ふたりはここで、中居の手伝いに。ブナの混じる森林はまもなく春を迎えようとしていた。
4月、東大の準教授の榛葉が予約の通りに来客となった。考古生物学者の61歳の才気は、登山家で知られていたが、二人は知る由もなく、ただその才気にまだ三十一歳の経験のなさにキャピタルの青年のエリート振りに、少しの記憶からの脱出にその美貌が冴えわたっていた。
「ここから小渋川を遡上して、荒川岳を狙うのは当然だが、ここは登山客は多いようだね。」
香乃は南アの登山歴があり、特に北岳はつい3年前に、登っていた。ついつい、出てしまう京都弁に客は別に言うこともなく居たが、記録的な意味での小渋ルートは、普通のクライマーの青年がよくとるルートだと答えた。しかし、絵麻は香乃の知る、アスリートで、陸上1万、5千の代表になったこともあるとは言っておいたが。それでも、今はこういう場所でかえっていいだろうと、冗談に。気温は上がって杉の葉末に青いコツバメが俊敏に飛び出していた。
4月に入って、榛葉は帰らずに、盛んにここの攻略法を考えていた。残雪の危険な状況はなく、ゲートは開いていた。3000オーバーの他の塩見、千丈も魅力があると言う。約束はできないが、3人で登ってみようと。旅館の仕事で少しストレスがある逆に、体力は保たれていた。どうも、優秀な登山家であり、信用はできることで、状況を見ては、実行へのステップをどちらともなく、言い出していた。そこへ、小渋ルートをギリギリで往復した青年からの予約が舞い込んだ。もちろん、女将の様子で分かったが、女将は榛葉を登れそうにないと、言うが、「七福神」のごとく、色々がいいのだと、言うので、一応の同行を約束にしてしまった。
長いアプローチが続いた、時折の雲の切れ端が、消えていく。青年は、十分に他のクルーの速度を考慮して、登り詰めさせた。山頂での1時間に周囲の名峰の説明と撮影に、ステッキの代わりにmovieカメラを回し、指示を出すが、日に焼けた、皮膚は冬場でも同じで、僅かに残る眼下の雲に指を指して説明する、何かの勘がさせる言動に危険の回避が読めるが、そのキャリアのなす考慮は絶対的に危険への危機感が。下りへ向かった。日没1時間前に宿へ。
その夜は急に雷雨になった。しかし、直ぐに晴れ間が覗いて、露天風呂に漬かっている青年に対して画像の印刷に、翌3時に終わった。翌朝、宿のギャラリーが入れ替わっていた。犯人は、青年で外で何かをしていたが、「遅い朝食ですか。」、movieの編集も終わって、s-インポーズも完全だった。話は、「山渓」の編集で、偶にここへ来ると。隠したEOS M5を出してきたが、全機能を使えるらしく、EFレンズも標準と望遠だけの単焦点で、それ以外にも、KODACのプラスチックのカメラも。
「それ、いいね。」
そこでは、と、旅館の渡り橋に移動、数ショットを、内部のメモリーは分からずに、転送はすみやかに。
よく見てみると一部にゴミの跡が、コンコンと手で叩き、明るい空を向け、治して写せる枚数がフィルム以下だという、23年前のものらしい。画像のサイズは大きく変わらず、で。その日没を待たずに帰っていった。KODACを置いていったが、真新しいマニュアルは、十分、使えるように書いてあり。旅館で使っているサブに開けさせて見ると、愛犬の画像が。レッドリバーはいききと映っていた 。
次には来るしかないと、言っていた理由は、プラネタ兼のドームの設営で、どういうわけか、彼が全権を。次は、6月に。その年、梅雨は続いた。旅館の周りでもアサマシジミが飛んでいた。榛葉はすぐに帰り、香乃と絵麻は仕事で手一杯に。偶に山本からメールが来るだけ。ダウンロードすると、photo用のアプリが、EOS M5対応のもので効果は、drawing対応の最新のもので、ホームページなどの作成機能もあって、指定のサイトから、国産のOS、明らかにfujitsu nextのもので、Neo OASISが使える。矛盾の末に国産の起動SOFTは動き出した。
ドームの設営の様子はこれで収録。カメラはKODACのものでマニュアルにも。「無限」の形状は口径190センチに匹敵する。特にシーイングのいい場所は当然と言えた。当然、関西の190と同期させようとするが。矛盾のロゴがすべてを物語っていた。
偶に山本がくる中で、一人、作業を続けているが、完成はした。12月の大気のベールは事実上透視で理論上の解像度は越していたが、まだ30%が機能したにすぎなかった。既に改装された、ホームページにアップされた映像は本当の冷却カメラにも似て、被る、現象はなかった。ガリレオ式との協調でも基本のスペックは脅威だが、何にせよ、床が。これでは、丁度いいことに。新OSはとにかく、遠いサイトに。
テルモの男が来て、どうもプロらしい。180度の本当のスカイは、意味がある。畳み込みのフーリエは拡大時に驚異的な性能を。香乃は助教授に、絵麻は若女将に、道はあった。
_____(予言の2980年はまだ、650年先だった。)___
青年は「花板」に、名は「小田清二。」といった。
春は遠い、この二人にはどういう春が、と思うものもいない。年齢も躊躇なしに、不利な人生に拍車をかけて、もう一度、小渋川の危険なルートを思うが、もうすぐあの若者もここを去っていく。誰も「神」のことを言わずにいた、それは大いに間違いだった。山本は元の生活に戻ろうとしているが、本当に世を捨てられるには、孤独すぎた。気象予報は、晴天だが、気温は下降していく。三人での夕食を連想してみても、おそらく、ここ、小渋へは。イタリアンの店長が、声を掛けてくれたので、少し、頬が和らいだ。気温の零下の200mの道は、白い壁の中を行く、戸を叩くと、あの顔が出てきて、血色のいい奴だと思う。メニュウは少し増えて、鳥の料理に醤油の使わない、オリーブ油だけの健康的な一種の「欧風から上げ」が上手いというので、頼んで、久しぶりにTVのニュースを。
「いい味が出るんで、」
といい、代わりのオーダーが追加。すべてが太いMr.料理のいう、「美味いですよ。」には、遠い記憶にも、消えろという、気迫が。真の「男」の定義は崩れて、美味いオリーブの癖のある味に、貼ってあるギゼのピラミッドの写真が、そういえば、暫く国境を越えていないな、とも思うが。夜は更けていった。
PhotoPADはコピーができる。言うことは、ないが、ペイントって便利だ。
夕食はロールキャベツで、これは美味しい。三千館の春は遠い。偶に来てくれる、絵麻の料理は、外食を諦めさせた。青い月が浮かぶのは、異変なし。フジミドリの卵採集に行ってみようと、地図を。赤い鉛筆で修正済。イヌブナの純林のありそうな、国土地理院のマップに、追加の塗りつぶし。もう、3割は歩いていた。 レオンからメールが、こちらへ来るらしい、二人で登ったほうがいいことは。51歳の体は彼ほどではないが、登山路を駆け上った頃に、それほどは遅れない。
「塗り絵か、」
赤い鉛筆を、削りながら思った。友人の蛭川も同行させるのがいいと思い、年賀状の手書きの字に思うことはなかった。
日光の景観はさほど良くはなく、行くべきは、信州長野。
南北アルプスが良いと言わざる負えない。 高山蝶のcollectorとしては、松本に住むことは、
非常に幸運なこと、知り合いの本格的蝶屋は日光から松本へ。
細い本州の横断には、車で5時間で行けるが、高速ができて、はるかに短縮された。
これは、感覚的に遠い場所が、一見、狭くなったような錯覚に。
良いスポーッツタイプをお持ちなら、甲府で降りて、国道20号をいく、コーナリングの連続には、ストレスがないドライブが、但し、ランエボが一瞬で追い抜いていく。軽のSUBARU R2のRRでは面白い、テールスライドが続く。
林道へは入笠山がいいところで、ここは山頂がすべてのアルプスが見える上に、スズラン小屋がある。
ここも、ヒメギフの産地で、いい雰囲気の山だ、クライマーも多い。
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2022.01.11 02:37